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脱社畜ブログの事を想うと夜も眠れない

2011年、夏。一つのブログが死んだ。

ニートの海外就職日記。海外ニートとして日本人の仕事への姿勢をdisり続けた、桁外れの人気を誇ったブログだった。

彼は教えてしまった。皆が心の中で思いつつ、しかし言葉に出来ず、皆同じだからと納得していた事を。知らねば幸せだった事を。仕事のクソさを。仕事はクソだという言葉を。そしてその言葉を言い放つ爽快感を。

だが、今はもうログも残っておらず、Internet archiveを漁っても何もでてこない。もう一度読みたいと願っても叶わぬ夢。僅かに 残骸 が確認できるのみだ。誰かログ持ってませんか?

人々には必要だった。仕事をdisり続けてくれる人が。仕事におわれるクソみたいな人生の、黒い、重い霧を払う涼風が。無職が言うことではないが。

そして2012年、夏。1年の時を経て、ついにあらわれた。

脱社畜ブログ

一度味を知れば、もうそれ無しでは生きてはいけない。胡椒を知ってしまったローマ人のように。あるいは麻薬中毒者のように。

故に皆は飛びついた。脱社畜ブログは瞬く間に人気ブログへと駆け上った。

需要はあったのだ。いや、需要だけがあったのだ。

そして、唯一にして最大の供給を誇っていた彼はもういない。人気がでないわけがない。

こうして脱社畜ブログはアクセスを稼ぎ、日本人の労働観をdisる記事を読みたかった人々の心を癒し、皆幸せになりましたとさ。

めでたしめでたし…とはいかない。いかせない。皆が許しても私が許さない。

何故か。

私の猫の額よりなお狭い心が語りかけてくるのだ。パクリ屋風情が、と。

メインコンテンツであろう仕事の話は、どれもこれも海外ニートの記事の焼き直しばかり。見たことのある意見ばかり。にもかかわらずアクセスを稼ぎはてブを稼ぎアフィを稼ぎ、あまつさえ 本も出している というのか。 2冊も出している というのか。 東洋経済オンラインに連載まで持っているというのか。

悔しいではないか。口惜しいではないか。

わかってはいるのだ。これはただのいちゃもんだと。やっかみだと。

そもそも、需要があり供給が無いなどという状態は決して維持されない。彼がやらずとも他の誰かが必ずやったことだ。ただ彼が最初に動いた。1年という禊の期間をおいて。厚顔に1月と経たぬ間にブログをはじめたわけでもない。紳士だ。

そう、私のこの感情は決して筋の通るものではない。だからこそ苦しい。嫉妬の炎は我が身だけを焦がし、苦しませる地獄の炎だ。相手には何一つ影響のない、或いは優越感さえ与えかねない業の火だ。

だが私も胡椒つきの肉の味を知ってしまった一人。この身を焼かれつつも口を開け、彼の更新をいつも心待ちにしているのだ。やはり、悔しいではないか。苦しいではないか。