分裂勘違い君劇場へのファンレター
今、私のブログは「三十路こえて無職」という名前にしているのだが、なんともまぁ情けない名前である。三十路こえて無職のやつの意見にマジになっちゃってどうするの? とたかがブログにさえ予防線をはってしまう自分の性格が心底嫌になる。が、今更どうなるものでもない。
何故このような名前にしたのか。自分の思考をなぞり「ブログ名についての考察」という記事をかいていたら、何故か分裂勘違い君劇場の事ばかりの内容になっていた。これが恋か。
ご存知だろう。4年(体感では1,2年なのだけれど)ほど前、記事を書けば3桁4桁はてブをどんどんたたき出していた大人気ブログ。それが分裂勘違い君劇場である。
しかしこのブログ名「分裂勘違い君劇場」
なんともな名前である。弱気に過ぎる感がある。予防線はりはりである。
自分で分裂と、勘違いと言っておく。そして結びに劇場。人は役者か。
さらにブログの説明には極論を楽しむ、真に受けるなと徹底した退路確保。逆に堂々としているようにさえ見える。美濃に組んだら端歩は突いておくものだ、といわんばかりだ。
思い出してみれば意見をぶつけ合う時でさえそうだった。
分裂勘違い君劇場の更新が止まる前、今は亡き海外ニートと仕事論についてやりあっていた記憶がある。
そんな時も相手のブログの名前は決して出さない、あくまで自分の意見という形を取るスタンス。
海外ニートが名指しで反論をし、さてその再反論はどういったものだろう、とわくわくしていたら更新がなくなり、海外ニートのブログは身ばれという形で完全消去。不完全燃焼だったために今もなお記憶に残っている。(記憶だけで書いているので瑣末どころではない違いがあるかもしれない)
ちょっとした昔話だが、何故今こんな話をしているのか。
もちろんファンだからだ。好きだったからだ。
そしてもう一つ。分裂勘違い君劇場がはてなブログに別館として復活したのだ。おめでとうございます。
だけど。
だけれども、ちょっとだけ残念なことはある。
なにが残念って記事の中身が残念だった。
中の人違うんじゃないか? と思うほど、こう正直にいって、私にとって、酷いものだった。
男性は政治家には向かない。おっぱい見たさでまともな判断ができなくなるから
低俗な記事にたいして低俗な意趣返し。インスパイア元記事の隙の多さを露呈させるいやみったらしいやり方。極論を楽しむといった姿勢はどこにいってしまったのか。
4年というブランクの長さが彼の言葉の鋭さ、輝きを鈍らせてしまったのか。
あげくなんではてブ3桁超えてしかも好意的な意見ばっかりなのか。これは嫉妬だけれど。
私とて、たとえば増田に書かれた記事だとしたら笑って読めたかもしれない。でも、あのid:fromdusktildawnが、わざわざはてなに分館をつくってまで書く内容にはとうてい思えない。私が彼に望みすぎているだけなのか。愛ゆえに苦しまねばならぬのか。
他人の形を自分の中で固定化してしまうことは相手にとって迷惑極まりなく、なにより自分にとっても不幸なことだろう。
それでも私は4年前の、極論を楽しむ彼の切れ味鋭い記事を熱望してしまうのだ。言うのはタダだし。