スパムとスパムとスパムとスパムと…
※ 人名は全て敬称略
一部のはてなユーザーはスパム行為に厳しい。物凄く厳しい。
元々はてながスパムサイトであり、スパムによりのし上がったサイトだからだろうか。黒人差別の歴史があり、それを脱却したアメリカが差別にとても敏感なように。
いや、今もスパムと戦い続けているからこその厳しさか。
トラックバック。ファーム。複アカ。bot。身内ブクマetcetc.....
はてなの、はてなブックマークの歴史はスパムの歴史でもある。はてなブックマークが生まれた瞬間から今に至るまで、スパムの話題が途切れたことはない。
これは仕方の無いことだ。ソーシャルブックマークサービスとスパムの親和性が高すぎるのだ。結果、スパムだけでなく世間一般の常識や人間心理までがスパム扱いだ。
過去から今に至るまで、悪気のなかったスパム、いや、はてなブックマークだからこそスパム扱いされた例がいくつあったことか。
最近の例をいくつか挙げよう。
例1 : 数人の固定ファンがブックマークをした。ギルティ。それはスパムだ。
まつたけのブログ - はてなブログふざけんじゃねえぞ
例2 : 同じはてなグループの人がブログを更新したのでブックマーク。ギルティ、それはスパムだ。
マネー報道 MoneyReport - 【お詫び】最近はてなブックマークで新着に載らない原因は「同期ブログ」です。
例3 : 遠まわしにブックマークしてくれるように誘導した。ギルティ、それはスパムだ。私も擁護できない。
初心者ブロガーでも簡単にはてな新着エントリーに入る方法 (この記事みて書き始めたのに消えてしまった。かわりに記事のブックマークをリンクしておく)
このようにごく一般的な、自然な行為がはてなではスパム扱いだ。 素人にはオススメできない、なんて言葉じゃ甘い。はてなは魔界村か何かか?
「それがココのルールだ。郷に入れば郷に従え」と意識の高いブックマーカー諸君は言うだろう。
違う。人間の心理を、一般的な行為をスパムとしてしまうはてなのシステムがおかしいのだ。散々言われていることだが3user新着エントリー制度を一度とっぱらったらどうなのか。
さて、先にスパム行為への対応の厳しさを書いたが、逆に見逃されている、いや推奨すらされているスパム行為も多い。
はてなブックマークにはブックマーカーをお気に入りすることができる機能がある。好みの記事が似通っている人をお気に入りしておけば情報もより集まりやすい、というわけだ。
だが世の中には100を超える人々に「お気に入られ」ている、インフルエンサーともブクマやりちんともアルファブックマーカーとも呼ばれる権力者がいる。
彼らが一度ブックマークをすれば彼らをお気に入りしている人々が飛びつく。彼らの1ブックマークは1ブックマークではない。10にも100にもなる力がある。こちらのほうがよほどスパムだ。存在そのものがスパムだ。
しかし、彼らの存在そのものがスパムだとしても、彼らをスパマーというのはお門違いだろう。約一名を除いて。
彼らは「お気に入られ」ているだけだ。罪はない。先に触れた人々と同じく。
では彼らを「お気に入り」し、彼らを権力者にしたてあげている人々こそがスパマーだというのだろうか。
それも違う。
お気に入りになどできるシステムそのものがおかしいのだ。スパムを加速させるのだ。つまり悪いのははてなであり、すなわち近藤淳也が悪いのだ。
最後に約一名の話をしよう。お気づきの通りid:jkondoの話だ。近藤淳也の話だ。株式会社はてなの代表取締役の話だ。
知ってのとおりはてなはスパマーによって生まれスパムの力でここまでの力を付けたサービスだ。その色は今もまだ強く、濃く残っている。
例えば会員未登録のROM専ユーザーに対し、一定時間毎にユーザー登録を強要するモーダルウィンドウを出してくる。完全にスパムである。本気でうざい。
私もそれについに根負けして会員登録をした。自らスパムの効果を実証させてしまった。物凄い癪だ。
思い返せば私がはてなを知ったのも、何かを検索した時、検索した単語とは無関係にチラチラと出てきたからだ。スパムの効果たるや。
例えばはてなスタースパム。
はてなスタースパムとは、スターの大量連打という悪質SEO的な意味のスパムではなく、嫌がらせUIのスパムでもなく、本来の意味でのスパムだ。迷惑行為だ。一部ユーザーが迷惑と、自己防衛の手段を共有してもはてなは、近藤はこれを問題視しない。
何故か。それは近藤がスパマーだからだ。はてなをスパムによって育てたはてなのトップだからだ。つまり、
こういうことだ。
もう根っこからスパマーなのだ。スパム行為を自覚せず、ストレス解消にスパム。挙句ユーザーにまでスパムをすすめる始末。皆で広げるスパムの輪。病気だ。スパムをしていないと死ぬ病気か何かだ。
書かれた当初、id:Mukkeもそれはスパム(正確には荒らし)だと言及していたが
[独り言]はてなスターに関する要望――スター連打は荒らしです
3年以上経った今もはてなスタースパム問題は残ったままだ。記事、コメントに一人一つまで。でいいと思うのだが、そうなると近藤のストレスがたまりすぎてしまうのだろう。即ちはてな存続の危機だ。それは困るので結局自衛するしかないのか。
結局の所はてなとスパムは切っても切れない。それだけは間違いない。私の出来ることといえば、せいぜいスパムをネタにし、スパムをツマミにスパムをするくらいのものだ。それがはてなで生きるということなのか。
追伸:参考サイト、真面目な話はこのへんみればいいんじゃないかな。私の嘘もばれちゃうな。
好奇心と怠惰の間 - [はてな]これはspamですか?
Life like a clown - ブクマ数と被fav数、他多数の記事
真性引き篭もり - はてなブックマークはなぜ改悪されたのか。
コウモリの世界の図解 - 2014新春 はてなブックマーク、はてな村。まとめと展望
はてなブックマーク開発ブログ - はてなブックマークのスパムへの取り組みと対応に関するお知らせ
まだまだ紹介しきれていないが、キリがないのでこの辺りに。
都知事選。家入を叩く連中の小賢しさ
※ 人名は全て敬称略
※ 汚い例えがあります
スティーブン・キングはシャイニングを書く前、編集者にこう助言されたそうだ。
「君は2作続けてホラーを書いた。3作目もホラーをかけばホラー作家としてしか認識されなくなるよ」と。
だが彼には自信があった。どう認識されていようと素晴らしいものは素晴らしい。だから書きたいものを書くのだ、と。
私はそんな自信もないし、他のブログのことばっかり言及するように思われてもネタが続かないので趣向を変えます。
さて、本日2月9日は都知事選の執行日。都内はまさかの大雪に見舞われ、投票率のだだ下がりは目に見えるよう。組織票の強い候補の勝ちは確定したようなもので。
そんな都知事選。はてなで少し話題になった人がいた。
そう、家入一真だ。
話題の一端はココなどで見れる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/kotoripiyopiyo.tumblr.com/post/74812029489
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.slideshare.net/sinpost2/20140127-f
http://b.hatena.ne.jp/entry/ieiri.net/policy/
なんと、まぁ、である。酷い叩かれようである。嫌われようである。
ココでは好意的な意見も多く、上記も全てが叩きコメントというわけでもないので皆々に嫌われているわけではないようだが。
同じくはてなの嫌われ者のイケダハヤトのインタビューで好意的な意見が多いのは面白い。実際記事も面白かった。
話がそれた。
にしても、だ。この家入を叩く有象無象のなんと小賢しいことか。
だってそうだろう。彼らは家入を叩き、即ち家入の支持者を馬鹿にしている。あいつの過去を知らないのか。責任感のない人間に知事を任せるなど正気か、と。まったくもって正しい。筋が通っている。
さらに言葉を深く読めば、こうも言っている。面白いからと考えもなしに投票先を決める大ばか者と私は違う。政治を舐めるな、と。家入に投票するような連中と私は違うのだと。
しかし。
しかしだ。では彼らは誰に投票するのだろう? 誰を支持しているのだろう?
彼らは言わない。情報リテラシーの高いはてブ民は決してそんな愚を犯さない。公職選挙法が改正され、投票先を、支持者を明示しても何一つ問題のなくなった今でも決して明らかにはしない。
彼らがわざわざどのうんこを支持します。などと言いふらし恥をかくような真似をするわけがない。
そう、選挙とはどのうんこがマシかを選ぶものだ。だがうんこを選ぶやつは馬鹿にされて然るべきだ。
今回もそう、誰を選んだところでうんこには違いはない。誰を支持するかなどと表明すれば蔑まされるのは明らかだ。
舛添支持?
この期に及んでまだ安倍に、自民にどっぷりか。貴様の知性はネトウヨと大差ないな。
細川支持?
都知事選で原発だけを争点にし、他を語ることもできない老害を支持ですか。
宇都宮支持?
口ばかりで実現性の無いことを言うこいつを推すのか。2009年に民主党支持してた連中を見ても何一つ学んでないな。あっ…はてサか。
田母神支持?
ようネトウヨ。攘夷攘夷言ってる江戸時代からなんも進歩ないなお前は。
その他泡沫
ただの死に票だからな、それ。一分たりとも意味ないぞ。
異論反論は多々あるだろうが目を瞑って欲しい。ものの例えだ。私が言いたいのは、誰を支持しても必ずどこからか馬鹿にされる現実についてだ。
じゃあ選挙なんぞに興味はない。どのうんこも選ばないと言えばいいのか?
それはなおさら愚か者だ。一番の権利である投票権を捨てておいて政治を語るな、などなど説教までされかねない。
また話がずれたので元に戻そう。
家入一真は泡沫候補であり、ネタ枠であり、隙だらけだった。彼を叩く材料は山ほどあった。政治をきちんと考える意識の高い人々から見れば叩く対象でしかなかった。
だが、誰を支持するかも明らかにせず、弱小候補に理屈を、正しさをもって叩く姿は小賢しく、そして邪悪だ。
追伸
私は都民じゃないので特に誰を支持ということもありません。
脱社畜ブログの事を想うと夜も眠れない
2011年、夏。一つのブログが死んだ。
ニートの海外就職日記。海外ニートとして日本人の仕事への姿勢をdisり続けた、桁外れの人気を誇ったブログだった。
彼は教えてしまった。皆が心の中で思いつつ、しかし言葉に出来ず、皆同じだからと納得していた事を。知らねば幸せだった事を。仕事のクソさを。仕事はクソだという言葉を。そしてその言葉を言い放つ爽快感を。
だが、今はもうログも残っておらず、Internet archiveを漁っても何もでてこない。もう一度読みたいと願っても叶わぬ夢。僅かに 残骸 が確認できるのみだ。誰かログ持ってませんか?
人々には必要だった。仕事をdisり続けてくれる人が。仕事におわれるクソみたいな人生の、黒い、重い霧を払う涼風が。無職が言うことではないが。
そして2012年、夏。1年の時を経て、ついにあらわれた。
一度味を知れば、もうそれ無しでは生きてはいけない。胡椒を知ってしまったローマ人のように。あるいは麻薬中毒者のように。
故に皆は飛びついた。脱社畜ブログは瞬く間に人気ブログへと駆け上った。
需要はあったのだ。いや、需要だけがあったのだ。
そして、唯一にして最大の供給を誇っていた彼はもういない。人気がでないわけがない。
こうして脱社畜ブログはアクセスを稼ぎ、日本人の労働観をdisる記事を読みたかった人々の心を癒し、皆幸せになりましたとさ。
めでたしめでたし…とはいかない。いかせない。皆が許しても私が許さない。
何故か。
私の猫の額よりなお狭い心が語りかけてくるのだ。パクリ屋風情が、と。
メインコンテンツであろう仕事の話は、どれもこれも海外ニートの記事の焼き直しばかり。見たことのある意見ばかり。にもかかわらずアクセスを稼ぎはてブを稼ぎアフィを稼ぎ、あまつさえ 本も出している というのか。 2冊も出している というのか。 東洋経済オンラインに連載まで持っているというのか。
悔しいではないか。口惜しいではないか。
わかってはいるのだ。これはただのいちゃもんだと。やっかみだと。
そもそも、需要があり供給が無いなどという状態は決して維持されない。彼がやらずとも他の誰かが必ずやったことだ。ただ彼が最初に動いた。1年という禊の期間をおいて。厚顔に1月と経たぬ間にブログをはじめたわけでもない。紳士だ。
そう、私のこの感情は決して筋の通るものではない。だからこそ苦しい。嫉妬の炎は我が身だけを焦がし、苦しませる地獄の炎だ。相手には何一つ影響のない、或いは優越感さえ与えかねない業の火だ。
だが私も胡椒つきの肉の味を知ってしまった一人。この身を焼かれつつも口を開け、彼の更新をいつも心待ちにしているのだ。やはり、悔しいではないか。苦しいではないか。
分裂勘違い君劇場へのファンレター
今、私のブログは「三十路こえて無職」という名前にしているのだが、なんともまぁ情けない名前である。三十路こえて無職のやつの意見にマジになっちゃってどうするの? とたかがブログにさえ予防線をはってしまう自分の性格が心底嫌になる。が、今更どうなるものでもない。
何故このような名前にしたのか。自分の思考をなぞり「ブログ名についての考察」という記事をかいていたら、何故か分裂勘違い君劇場の事ばかりの内容になっていた。これが恋か。
ご存知だろう。4年(体感では1,2年なのだけれど)ほど前、記事を書けば3桁4桁はてブをどんどんたたき出していた大人気ブログ。それが分裂勘違い君劇場である。
しかしこのブログ名「分裂勘違い君劇場」
なんともな名前である。弱気に過ぎる感がある。予防線はりはりである。
自分で分裂と、勘違いと言っておく。そして結びに劇場。人は役者か。
さらにブログの説明には極論を楽しむ、真に受けるなと徹底した退路確保。逆に堂々としているようにさえ見える。美濃に組んだら端歩は突いておくものだ、といわんばかりだ。
思い出してみれば意見をぶつけ合う時でさえそうだった。
分裂勘違い君劇場の更新が止まる前、今は亡き海外ニートと仕事論についてやりあっていた記憶がある。
そんな時も相手のブログの名前は決して出さない、あくまで自分の意見という形を取るスタンス。
海外ニートが名指しで反論をし、さてその再反論はどういったものだろう、とわくわくしていたら更新がなくなり、海外ニートのブログは身ばれという形で完全消去。不完全燃焼だったために今もなお記憶に残っている。(記憶だけで書いているので瑣末どころではない違いがあるかもしれない)
ちょっとした昔話だが、何故今こんな話をしているのか。
もちろんファンだからだ。好きだったからだ。
そしてもう一つ。分裂勘違い君劇場がはてなブログに別館として復活したのだ。おめでとうございます。
だけど。
だけれども、ちょっとだけ残念なことはある。
なにが残念って記事の中身が残念だった。
中の人違うんじゃないか? と思うほど、こう正直にいって、私にとって、酷いものだった。
男性は政治家には向かない。おっぱい見たさでまともな判断ができなくなるから
低俗な記事にたいして低俗な意趣返し。インスパイア元記事の隙の多さを露呈させるいやみったらしいやり方。極論を楽しむといった姿勢はどこにいってしまったのか。
4年というブランクの長さが彼の言葉の鋭さ、輝きを鈍らせてしまったのか。
あげくなんではてブ3桁超えてしかも好意的な意見ばっかりなのか。これは嫉妬だけれど。
私とて、たとえば増田に書かれた記事だとしたら笑って読めたかもしれない。でも、あのid:fromdusktildawnが、わざわざはてなに分館をつくってまで書く内容にはとうてい思えない。私が彼に望みすぎているだけなのか。愛ゆえに苦しまねばならぬのか。
他人の形を自分の中で固定化してしまうことは相手にとって迷惑極まりなく、なにより自分にとっても不幸なことだろう。
それでも私は4年前の、極論を楽しむ彼の切れ味鋭い記事を熱望してしまうのだ。言うのはタダだし。